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2008年10月26日 (日)

Espira-de-Conflent(エスピラ・ド・コンフラン)

今回はぐっと西の方に行きまして、エスピラ・ド・コンフランという街を紹介します。
エスピラ・ド・コンフランはピレネー山脈近くの山の中にある、小さな小さな村です。スペインとの国境がすぐ近くにあります。
このあたりはいわゆるカタラン文化圏にあたる場所ですね。カタロニア地方とも呼ばれているところです。
近くに、アンドラ公国もあります。アンドラって、ご存じでしょうか。ほとんどの日本人には全く縁がないと思いますが、アンドラはピレネー山脈の中、フランスとスペインの国境にひっそりと存在している国です。物価が安かったり、免税店で買い物ができるので、フランスやスペインなどから買い物に来る人が多いみたいですね。ぼくはいったことないです。

さて、エスピラ・ド・コンフランへは、ペルピニャンからそのアンドラ方面へと向かう方向にあります。
まず、ペルピニャンからひたすら西に2〜30km走ります。この道は、これは知っている人も多いかもしれない黄色い小さな観光列車「プチ・トラン・ジョーヌ」の線路沿いの道です。車で走っている途中も、プチ・トラン・ジョーヌの線路を何度も横切ったり併走したりします。
ずーっと山の中の高速道路を走りますと、右手に大きな湖が現れます。湖の名前はよくわかりませんが、このあたりはVinca(cはcセディーユです)とよばれています。この湖をすぎたあたりで、いきなり道を左に折れます。特に目印も何もないんですが、なんか、左折する小さな道があります。
そこからひたすらぐんぐん狭い山道を登っていき、なんとなく分かれ道が来たらそこ右折、養蜂場だのを右手に見ながらひたすら坂道を登っていきますと、忽然と村が現れます。
そこがエスピラ・ド・コンフランです。

と、この行き方ひとつとってもご想像の通り、ものすごい山の中です。しかもわかりにくい場所にあります。前回書きましたポルティラーニュだって相当誰も知らないと思いますが、このエスピラ・ド・コンフランはその比ではありません。だいいち山の中過ぎます。もし知っていた人がいたらぜひお知り合いになりたい。それくらい、なんというか、特にわざわざ行く用事もないような、とりたてて観光的に有名でも何でもない村です。

村からの景色です
Dscf3402

小さな村ですが、歴史はありまして、古い教会があります。本当に、詳しいことが全くわからず恐縮なのですが、一緒にいましたフランス人たちの話によりますと、なにやら珍しいマリア様の像だか絵だかがあるそうで、それはそれなりに知られてはいるそうです。

そして、ここは、確かに人々の生活の息づかいが、歴史の中に今も生きている、そんな村です。

このあたりは、山の中の小さな村、中世からの村みたいなのが点在しています。どこもとてもキレイでかわいい村ばかりです。この付近で有名なのはウス(Eus)やヴィルフランシュ・ド・コンフラン(Villefranche-de-Conflent)といった村ですね。これはたまにガイドブックにも載っており、「フランスでもっとも美しい村」だかなんだかにも指定されています。

でも、エスピラ・ド・コンフランは、これらとは明らかに違った何かがあります。
「見せること」「きれいであること」を前提としていない、暮らしていく力とその美しさ、みたいなものがあるということです。

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で、なんでまたこんなところを訪れたかというと、実はこの街にはひとりの日本人女性が住んでいるのです。
彼女は、エスピラ・ド・コンフランの一番はずれのとても景色のいいところにある、何百年もたった古いすてきな石造りの家に暮らしています。
カタラン人のミュージシャンの旦那様と二人暮らしで、時折通訳などの仕事をしつつ、普段は家の近所にある農園で野菜や果物を作ったりなどしているという、そういうのが好きそうな女性にとってはなんとも夢のような生活を送っていらっしゃいます。

彼女はよしこさんといって、この近くに住んでいた私の母親と、ちょっとしたのみの市みたいなところで偶然知り合い、それから意気投合して、ずっととても仲良くしていただいていたんですね。
母が病気になって、それから亡くなった後も、よしこさんはずっとついていてくれたんです。その間、ぼくらはよしこさんには言葉では言えないほどお世話になりました。

ですので、久しぶりにフランスに行った折にはぜひともお会いしたい、と思ってはるばるやってきたというわけです。
しかし、お宅には初めてお伺いしたのですが、いやあこんな山の中だとは思いませんでした。

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おじゃました際には、お昼にご自宅の農園でとれたばかりの野菜を使った大変おいしい料理をごちそうになりました。
ここは、ほんとうに静かなところなんですよ。

食事の後、ミュージシャンの旦那様とぼくでちょっとした演奏をしたりして、なんともいいひとときでしたね。すごいフランスの山の中で、ジャズが響き渡るっていうのもなんか変な感じでしたが・・。

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家の写真です。ちょっとわかりにくいですが、隣の家とつながっています。
Dscf3404 Dscf3405

もう、何百年たってるのかわからない、っていってました。
ここは村の外れなので、この建物自体が昔は小さな城壁の代わりにもなってたようで、部屋の中に隣の家とつながっている扉があります(今は使っていないそうですが)。敵が攻めてきても、隣の家を伝って逃げることができるとか、そういう理由のようです。

先ほど書きました「この村は歴史が生活の中に息づいている」というようのは、まあつまりこういうことです。たとえばこの家と、それにまつわる歴史や物語は、誰かに見せるためではなく、今、人が生活するために存在しているのです。

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ちょっと暗くなってしまいましたが、家の中です。お昼の準備中です。
Dscf3408


窓からの景色です。
すてきでしょう?
Dscf3438

Dscf3411
ほんと、なんだか浮世離れした生活ですよね〜・・。
雑誌で紹介したいくらいです。

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畑にもおじゃましました。
畑は、家からしばらく山の中を下っていったところにあります。

こんなすごいやぶの中の道をおりていきます。
Dscf3417

果物、野菜、なんでもありますね。
完全自然農法、といった感じです。

Dscf3434

Dscf3431

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ここで過ごした時間なんかも、やっぱり母が遺してくれたものの一つだなあ、と思います。
(毎回母の話で恐縮ですが、まあ今回の旅行はそれがテーマなもので、すみません)

家族で、このフランスの山の中で、出会いがあって、おいしい料理があって、音楽があって、静かさと会話があって、という時間を自然に過ごせているのは、とても幸せなことでした。

アンドレは、「こういう田舎がフランスの一番いいところなんだ」と言っていましたね。
なかなか来られるものでもないでしょうから、ほんとうに家族に感謝です。

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下の写真は、帰りの車の中から見えたナルボンヌ近郊の干潟の風景です。
線路が干潟の真ん中を走っているのが見えますでしょうか。走っていると360度海の中を走っている気分になる珍しい列車の路線です。
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大きな地図で見る
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コメント

DGTさんは、同じ地方のフランス人でなければ知らないような珍しい土地ばかり訪れていますね。正直、うらやましいです。
イタリアの田舎は、友人が車で連れて行ってくれるので、まあまあ知っておりますが、フランスではほとんど田舎に縁がありません。
貴兄の写真が、文学を読みながら風景を想像するのに、とても役に立ちます。

>このあたりはいわゆるカタラン文化圏にあたる場所ですね。カタロニア地方とも呼ばれているところです。

1659年のピレネー条約で、スペイン国境は南に後退しました。それ以前はスペインだったのですが。


>彼女はよしこさんといって、この近くに住んでいた私の母親と、ちょっとしたのみの市みたいなところで偶然知り合い、それから意気投合して、ずっととても仲良くしていただいていたんですね。
母が病気になって、それから亡くなった後も、よしこさんはずっとついていてくれたんです。その間、ぼくらはよしこさんには言葉では言えないほどお世話になりました。

すばらしい出会いがあったのですね。人生を強く感じてしまいます。


>食事の後、ミュージシャンの旦那様とぼくでちょっとした演奏をしたりして、なんともいいひとときでしたね。すごいフランスの山の中で、ジャズが響き渡るっていうのもなんか変な感じでしたが・・。

たしかにサックスやドラムより、リュートの調べの方が似合いそうな感じがしますが(笑)


>ここで過ごした時間なんかも、やっぱり母が遺してくれたものの一つだなあ、と思います。

これ、とてもすばらしい言葉ですね。考えてひねり出せるような言葉ではない。この日記の精神的価値は、この一言に尽きるような気がします。文字通り、「亡き母の足跡を求めての旅」と「自分自身の目覚めの旅」が重なっている。いや、もっと正確に言えば、旅を経巡るうちに重なってくるのだと思います。
こういう精神的な遺産こそ、真に遺産と呼べるものではないかと思います。財貨だけを「遺産」にしてしまうのは、この地球で哀れな人間たちだけですから。そうではない形而上的なもの、貴兄がいみじくもご指摘したように、それは存在を超えてつながっている「時間」にこそあるのではないでしょうか。
たいへん人生勉強をさせていただきました。


>帰りの車の中から見えたナルボンヌ近郊の干潟の風景です。

わたしも7月に同じ風景を見ました。ほんとうに不思議な風景ですね。

余計なことかもしれませんが、貴兄のブログ、わたしのパソコン(XP)のメモリーを食い過ぎてしまい、ちょっと開きにくいです。立ち上がるのに時間がかかるのと、時々、仮想メモリーが足りなくなります。
もしできるなら、レポート(と写真も)を「その1」、「その2」などと分けていただければ大変ありがたいですが。

ではつづきを楽しみにしています。

投稿: バルセロネッタ | 2008年11月 1日 (土) 12時41分

コメントありがとうございます!
いつも、すごく深いところまで読んでいただけるので恐縮です。そう、それがいいたかったんです!、とコメントを読みながらうれしくなっています。

これほど、文章中で私が意図したことを深く汲み取っていただけることもあまりないですし、さらに、いつもそれ以上の価値というか、意味を付け加えていただけるので、本当に感謝しています。

「母が遺してくれた時間」は、確かにこの文章中一番力の入ったところですが、「こういう精神的な遺産こそ、まさに遺産・・」は、自分の意識のさらに上をいっていて、とてもうれしいお言葉でした。本当にそうだな、と教えていただいたような気がします。
重ねて、どうもありがとうございます。

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カタラン語、はフランス語やスペイン語とはまた別にあるんですよね。地元のCATVとかで、カタラン語放送とか、あります。
日本に住んでいると、こういう地続きの国境地帯の感覚って、いまひとつよくわかんないですね・・。

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ブログ表示の件、まったく気づきませんで失礼いたしました。
トップページの記事表示件数が10件になっていたので、2件に減らしてみました。

写真も多いですし、文章も結構長いので、確かに10件は多かったかもしれませんね・・。
どうも、ご指摘ありがとうございました。

それでは、今後ともよろしくおねがいいたします。

投稿: DGT | 2008年11月 2日 (日) 01時47分

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